米国の連邦政府R&D計画における省庁間の役割分担と連携の仕組み
過去20〜30年の間に開発された数多くの主要ITテクノロジーは、国家の経済と国民の福祉のために永続的な影響をもたらした。この項では、データベース・システム、コンピュータ・グラフィックス、コンピュータ・ネットワーク、人工知能といった汎用的なテクノロジーを取り上げて、概念の着想から産業界での応用やビジネスでの実用化に至るまでの経過を振り返る。各テクノロジーごとに、関連産業やビジネスの概要、技術の発展の歴史的な展望、政府機関横断的なコラボレーションの役割について簡単に検証する。この分析により、複数の機関が、技術革新プロセスを育てていく上で、さまざまな期間にそれぞれの方法でどのように行動してきたのかを表す複雑な図式が明らかになった。こうした政府機関は、全体として、以降の主要なプログラム・イニシアチブを支える基礎を形成し、研究開発に関する国の方針や優先順位に大きな影響を及ぼした。
データベース・システムは、共同研究が米国経済にとっては多大な成果をもたらし、同様に世界経済にもある程度貢献した教科書的ケースの1つである。大方の予測では、データベース業界は全世界で年間100億ドル規模の売上を達成し、年間2桁の成長率を示している。ソフトウェア業界の中では、オペレーティング・システム部門に続き、第2位の規模を保持している。この業界の主力企業はその多くがIBM、Oracle、Sybase、Informix、Computer Associates、Microsoftといった米国系ベンダーである。また、アプリケーション固有データベース (テキスト検索、空間/地理データ、科学データ、画像データなど) を専門とする小規模ながらも、活力のあるベンダー各社がひしめいている。
しかし、データベース業界が成功したのは、政府と産業界の研究活動が適度に混在し、その間に大学の仲介が存在したからである。たとえば、リレーショナル・データベース・モデルの誕生は、IBM (System-R)と、今ではデータベース・アクセスの国際標準として確立しているSQL(Structured Query Language) と政府 (NSF) が当初、カリフォルニア大学バークレー校で支援した共同研究の成果によるところが大きい。のちにバークレー・グループは、Ingresを設立し、NSFだけにとどまらず、空軍科学研究局 (AFOSR: Air Force Office of Scientific Research)、陸軍科学研究局 (ARO: Army Research Office)、海軍電子システム司令部 (Navy Electronic Systems Command) といったDOD系の各機関からも財政支援を取り付けるようになった。Ingresは、1980年代後期に、カリフォルニア大学バークレー校のPostgresに移管され、のちのオブジェクト指向リレーショナル・システムの基礎をなすオブジェクトの概念を取り込んだリレーショナル・モデルが追求された。このように研究の焦点がシフトしたことが、DARPA上層部の目に止まり、最終的には資金プールへの参加を促すことになった。さらに重要な点として、Postgresが、1990年代初期にNSF、NASA、およびDARPAの機関合同で実施された電子図書館研究イニシアチブのもとで、カリフォルニア大学バークレー校における電子図書館プロジェクトの主要コンポーネントに採用されたことが挙げられる。
今日、リレーショナル・データベースは、膨大なデータの保存と管理を行うための数ある手法の1つにすぎない。リレーショナル・モデルやその他のデータベースの分野で、関連する新たな研究が続けられた結果、大規模なレポジトリやインターネットで使用する多様な情報を扱うための基礎が構築された。現在、情報検索、データ・マイニング、マルチメディア、科学技術データベース、電子図書館を中心とした作業も、多様な政府機関からの支援を背景に進められている。いずれにせよ、データベース・システムの成功例は、新しいテクノロジーが着想から市場化を果たすまでの技術革新の過程で、機関連携の支援がいかに大きく貢献するかを実証するものである。Microsoftの上席研究担当者であるJames Gray氏は、次のように語っている。
「連邦政府の非常に控え目な研究投資を、産業界によるこれまた非常に控え目な研究投資によって補完したことが、この主要な業界を米国が制覇することに直結した」。政府機関の役割は、タイミングと連携が適切であれば、このような成功への道を生み出すのに大きく貢献するのである。
コンピュータを利用するユーザーであれば誰でも、マウス、画面上に開く多数の「窓」(ウィンドウ)、そして美しい画像やさまざまなビジュアル・ツールのことをよく知っている。こうしたものが、全体として、「コンピュータ・グラフィックス」技術を構成している。さらに技術的なレベルでは、コンピュータ・グラフィックスにおける進化は文字どおり、コンピュータの利用形態に変革をもたらした。情報へのアクセスをはじめ、文書の作成、CAD (コンピュータ支援設計)、分子力学やその他の科学/ビジネス・データのビジュアリゼーション、仮想現実システムなど、その応用例はアニメーションからコンピュータ支援の手術に至るまで多岐にわたる。ところが実際に、こうした技術革新が、複数の機関を通じた政府助成が (単独で、または連携して) 適切なタイミングで大学の研究活動を支援した成果として誕生したという事実は、一般社会は言うまでもなく、専門家の間ですら、ほとんど知られていない。このような努力がなければ、今日ある数十億ドル規模のコンピュータ・グラフィックスの業界は存在し得なかったであろう。少なくとも、これほどのペースでの発展はあり得なかったに違いない。
コンピュータ・グラフィックスの技術革新パスは、ソフトウェア・サポート、レンダリング・アルゴリズム、ディスプレイ・ハードウェア・アーキテクチャ、およびユーザー・インタフェースに関する初期の研究に端を発する。次第に焦点は、ハイパーテキスト/ハイパーメディア、仮想現実、グラフィカル・ツールをはじめ、多様なアプリケーションに対応したシステムの開発に向けられ、コンピューティング企業だけに限らず、製品やサービスの提供にコンピュータを利用する事実上あらゆる業界に多大な影響を及ぼすようになった。かつてはコンピュータ・グラフィックスとは無縁とされていた多くの科学技術の分野 (たとえば、生物、物理、医学など) が、今日では日常的な作業や研究活動の面でコンピュータに大きく依存している。こうした分野では、たとえば、ビジュアリゼーションなどは、もはやオプションのツールではなく、知識発見のためには不可欠な手段とされている。こうした学術分野でのコンピュータ・グラフィックスに対する関心の高まりは、関連する産業界に起因するものであると同時に、産業界を牽引する原動力にもなっている。現在、全米で約2,000億ドル規模とも言われるソフトウェア産業の中で、その大部分はアプリケーションから生み出されており、しかもその大半がコンピュータ・グラフィックス機能を利用している。
データベース技術と同様に、コンピュータ・グラフィックスの研究開発の過程も、産業界と政府機関によるタイムリーな (時に御都合主義的な) 研究助成が、中核的な研究実施機関である大学に対して投じられた結果である。表4.2は、ユーザー・インタフェース、グラフィックス・ハードウェア、ハイパーテキスト、ハイパーメディア、レンダリング、グラフィックス・ソフトウェア、仮想現実といったコンピュータ・グラフィックスの主要コンポーネントの開発を進めるにあたり、連邦政府の各機関が果たしてきた役割をまとめたものである。こうした技術開発それぞれに対して、さまざまな機関がそれぞれ固有の形で貢献してきたが、研究段階のテクノロジーが市場化まで到達するかどうかの違いを決定するのは、こうした貢献の総合的な影響力以外にはない。
コンポーネント |
研究の担当機関と中途成果 |
関係した政府機関と主な影響 |
| ユーザー・インタフェース | AppleのMacintoshコンピュータに向けたグラフィカル・デスクトップ・ウィンドウ・インタフェース。 PARCのAlan Kayが考案したAltoビットマップ・グラフィックス・ワークステーション用のSmalltalkプログラミング。 NCSAのWWW向けMosaicグラフィック・ブラウザ |
DARPAがユタ大学のSmalltalkの開発を支援する。 NSF、DARPA、その他の機関が、Mosaicを支援するためのコンソーシアムを組織する。 Webブラウザは、現在の世界規模のインターネット・ベース企業の中核的なコンポーネントである。 |
| グラフィックス・ハードウェア | ユタ大学における研究活動が、やがてSilicon Graphicsの基盤をなす3Dグラフィックス・ハードウェアとジオメトリック・エンジンを生み出す。 VLSIの活用によってコスト効果とパフォーマンスに優れたグラフィックス・システムが誕生する。 数多くの大学でグラフィックス関連の研究開発/教育プログラムが普及する。 |
DARPAが、早期の段階で大部分の財政支援を行う。 のちにNSFが、グラフィックスの研究と研究開発インフラストラクチャの構築を目的とした持続的な財政支援を提供する。たとえば、コンピュータ・グラフィックスに向けて5大学で組織したコンソーシアムや10年間にわたる関連機関 (DARPA、DOE) からの追加支援などがある。 |
| ハイパーテキストとハイパーメディア | Vannevar Bushが1945年に発表した有名な記事、"As We May Think (Atlantic
Monthly)"。 Doug Engelbart (SRI) とブラウン大学のAndries van Damが1960年代の初期ハイパーテキスト・システムの開発を支援する。 のちに、その他の大学や産業界の研究所の活動がXerox Bravoエディタに発展し、今日一般に利用されているテキスト/画像処理ソフトウェアやWebブラウザの基礎を築いた。 |
初期の研究はDARPAが支援し、のちにNSFが資金援助を継続して、高度な基礎研究を支援した。 その他の機関 (NASAやDOE) が初期の製品のビッグ・ユーザーとなって、関心の高まりと成長を促した。 |
| レンダリング | レンダリングは、多くのアプリケーションで使用する高品質の画像、コンピュータ・アニメーション、特殊効果などを制作する上で不可欠な手法である。 数年にわたって数多くの大学 (ユタ大学、ノースキャロライナ大学、オハイオ大学、カリフォルニア工科大学、コーネル大学) が基礎研究を続けた結果、今日実用化されている多様なレンダリング手法が誕生した。 |
DARPAとNSFは、この研究を支えるために最大規模の資金援助を行った。 この支援による最大の成果は、産業界だけでは短期間に実現できないような数多くのレンダリング・アルゴリズムがタイミングよく開発されたことである。 |
| グラフィックス・ソフトウェア | 当初、ソフトウェア・システムは、アニメーションなどのアプリケーションに合わせて個別に開発されていた。 これが、汎用的なソフトウェア・ツールの普及に結び付くようになる。 産業界でのソフトウェアの開発は、グラフィックス関連の研究/教育プログラムを実施しているさまざまな大学で教育を受けた学生による影響が強い (例:ユタ大学でPh.D.を取得したJohn Warnockが開発したPostScript)。 |
DARPA、NSF、DOE、NASA、NIHといった機関が、グラフィックス・ソフトウェアの研究開発活動で重要な役割を果たすようになった。 最大の影響は、基礎研究に対する助成と大学院生のトレーニングから生じた。 研究開発助成 (特にNSFの支援) は、このための多様で柔軟な資金源となった。 |
| 仮想現実 (VR) | 1960年代後期に、ハーバード大学のIvan Sutherlandが最初の画期的な研究を実施した。 のちの研究が、立体型のシースルー表示、ヘッド・トラッキング、ハンドヘルド3Dカーソルへの発展を生み出した。 産業界および大学での研究活動が、ハードウェア・テクノロジーの統合 (RISCなど) を含め、VRにおける数多くの発展に結び付いた。 |
VRは、ほとんどすべての機関がテクノロジーに対する強い関心を示した例の最たるものである。 1990年代半ばに、NSF、DARPA、NASA、NIH、DOEなどが中心になってVR技術タスクフォース (VR Technology Task Force) を設立し、将来的なVR研究課題に取り組む主な研究活動に対してNRCを支援した。 こうした複数の機関の共同活動が、今日のVR開発にも多大な影響を与えている。 |
一般的な印象では、インターネットは、わずか数年間のうちに、捉えどころのない実体から、ほぼユビキタス (遍在的) な存在にまで発展したように思われることがある。実際にインターネットをこのユビキタスな存在にまで進化させたきたインターネット自体とWorld Wide Webの発展は、過去40年にわたって連邦政府が援助してきたコンピューティング・ネットワークに関する多様な研究開発プロジェクトの成果にほかならない。今日のインターネットには、無数のコンピュータが永続的に接続された世界中の何万ものローカル・エリア・ネットワークが統合されている。さらに、携帯電話や各種のPDA (携帯情報端末) を含めると、数億台もの装置が、断続的にオンライン接続されることになる。これは、1960年代後期に登場した初期のコンピュータ・ネットワーク、ARPANETの時代から見ると、驚異的な変化と言える (1969年当時、ARPANETに接続されたコンピュータはわずか4台、1983年当時にインターネットに接続されていたのは200台足らずであった)。近年見られるインターネット経済の減速にもかかわらず、多様な形態で実現されるコンピュータ・ネットワーキングは、今後も21世紀におけるグローバル・インフラストラクチャであり続ける。
この成長のきっかけとなったものは何か、インフラストラクチャはどのように管理するか、研究開発は誰が支援するのか、こうした疑問に対する答えはいずれも、当初、DARPAが着手し、のちにNSFやその他の機関が参加した戦略的な政府主導プログラムに共通して見ることができる。これらのプログラムは、今日のインターネットへの発展を導いた高度なネットワーキング・テクノロジー (たとえば、パケット交換、ARPANET、インターネット・プロトコル、NSFNETへの移行、商業用インターネット、World Wide Webなど) の進化とアプリケーションの面で重要な役割を果たした。この進化の過程で、各政府機関が個別に、あるいは連携して、画期的なテクノロジーを次の段階に発展させる上で不可欠となる戦略的な役割を果たしてきた。40年に及ぶインターネットの歴史を簡単に説明することは難しいが、ここでは個別の機関が果たした中心的な役割について簡単に振り返ってみる。これを表4.3にまとめてある。
| 発展段階 |
研究開発の技術革新における成果 | 機関の関与と影響 |
| パケット交換 | 従来の回線交換と異なる新方式であるパケット交換の研究は1960年代後期に行われた。 Bolt Beranek and Newman (BBN) Inc.が開発したインタフェース・メッセージ・プロセッサ (IMP: Interface Message Processor) が、今日にまで引き継がれてきたネットワーク研究の爆発的増加のきっかけとなった。 |
パケット交換テクノロジーが実用的な展開にまで至ったことについて、専門筋では逆の指摘がある反面、DARPAが果たした主導的な役割は大いに称賛に値する。 NSFが支援したネットワーキング関連の研究活動は当時、ほとんど影響力を持たなかった。 |
| パケット交換 |
従来の回線交換と異なる新方式であるパケット交換の研究は1960年代後期に行われた。 Bolt Beranek and Newman (BBN) Inc.が開発したインタフェース・メッセージ・プロセッサ (IMP: Interface Message Processor) が、今日にまで引き継がれてきたネットワーク研究の爆発的増加のきっかけとなった。 |
パケット交換テクノロジーが実用的な展開にまで至ったことについて、専門筋では逆の指摘がある反面、DARPAが果たした主導的な役割は大いに称賛に値する。 NSFが支援したネットワーキング関連の研究活動は当時、ほとんど影響力を持たなかった。 |
| ARPANET | 1969年に開発された ARPANETのノード数は4。 これが1975年には100にまで増大し、パケット通信の国際標準であるX.25の誕生に結び付いた。 商業用のパケット交換システムの開発が世界的規模で開始された。 |
DARPAの支援が続けられ、ARPANETが実用的なネットワークとして定着するのに貢献した。 やがてARPANETの運用は、DODの個別の機関に移管された。 一方、NSFはCSNETに着手して、コンピュータ科学コミュニティの結束を強化した。 |
| 新しいパケット・テクノロジー | ARPANETの成功は、別の通信媒体におけるパケット交換の応用も促進した。 新たな研究活動がSATNET (衛星)、PRNET (地上モバイル無線)、Ethernet (ローカル・エリア・ネットワーク) を誕生させた。 4つのネットワーク・リンクを実証することにより、国際的な関心を高めた。 |
DARPAのリーダーシップが継続され、AFOSRなど、その他のDOS機関からの参加を得た (AFOSRでは、無線へのパケット交換の応用に貢献した)。 SATNETは、英国、ノルウェー、イタリア、ドイツの注目を集め、ヨーロッパがこのテクノロジーに参入するきっかけとなった。 |
| インターネット・プロトコル | 各種ネットワークを相互接続するニーズが、新しいプロトコルの確立に向けた活動を促進した。 2種類のインターネット・プロトコルの開発のきっかけとなった。TCP/IPは1970年代後期に誕生し、1980年代初期に急速に普及した。 TCP/IPは、ARPANETからインターネットへの移行を図るきっかけとなった。 |
DARPAとDODの防衛通信局 (DCA: Defense Communications Agency) が、この活動の先駆者となった。 主な影響:TCP/IPは現在でも、相互接続ネットワークを通じたインターネットの基本パケット伝送プロトコルとして利用されている。 |
| NSFNETへの移行 | NSFのCSNET、およびNSFスーパーコンピュータ・センターを接続するニーズを背景として、DOD以外で初の高速ネットワークであるNSFNETが誕生した。 NSFNETを基礎として、1980年代後期には、数多くの地域ネットワークが商業用として実用化された。 その他の機関でもミッションに合わせた機関内ネットワークが普及した。 |
DARPAでは基本的に、インターネットの管理をNSFに移行した。 DOEやNASAなど、その他の機関も関与し始め、ネットワーキング技術に対する米国政府の関心を高めるようになった。 影響:1990年代初期のHPCC機関連携プログラムにまで発展し、現在まで引き継がれているイニシアチブへとつながった。 |
| 商用インターネット | インターネット関連の研究開発が、商業向けの製品やサービスへ発展し、新たな産業部門を創出した。 NSFがNSFNETと地域ネットワークを「民営化」したことにより、さらなる成長を促した。 ネットワーク間の相互接続に向けた実験用テストベッドの研究により、画期的な商用アプリケーションが開発された。 |
1990年代初期に議会がHPCCプログラムを承認したことにより、主要機関同士の共同活動が促進された。 省庁間政策グループとして、連邦ネットワーキング協議会 (FNC: Federal Networking Council) が設立され、ネットワーキングにおける連携と研究開発共同プログラムが実施された。 省庁間連携の影響:連邦政府による研究開発関連の資金援助が大幅に拡大され、新しい形の産官学共同プロジェクト (NGIおよび Internet2) の基盤が形成された。 |
| World Wide Web | CERN(欧州原子核共同研究機関)によるWebの開発を機に、インターネットのユビキタス性 (遍在性) という新たな局面に入った。新しいプロトコル、Web言語
(html、xmlなど)、ブラウザが普及し、インターネットの爆発的利用がさらに広がった。 インターネットとWWWの統合が、コンピューティング、通信、コンテンツの各テクノロジーの統合に向けた基礎をなした。 |
主な影響:Webテクノロジーは、DLIプログラム、ヒトゲノム・プロジェクト、ナノテクノロジー・プログラムといった機関合同イニシアチブの実現を支えることになった。 インターネットやWWWのおかげで、連邦政府の各省庁はもはや、この分野での唯一の関連機関ではなくなった。 ほとんどの研究開発活動は、国の境界を越えて実施しない限り、その効果には期待できなくなる。 |
表4.3には、重要なメッセージがいくつか隠されている。まず、米国連邦政府の関連機関 (当初はDARPA、続いてNSFなど) は、インターネット・テクノロジーの実現に必要となる研究を支援する際に中心的な役割を果たしたという点である。第二に、これに続くネットワーキング・テクノロジーの進化は、断続的に実施された各機関による財政支援の時期と連動している点が挙げられる。たとえば、ARPANETがDARPAから移管されてNSFNETになったことは、かつて例のない形で産学双方のコミュニティからの幅広い参加に向けて、新しい研究と効果的な機会が促進するきっかけとなった。この過程は、1990年代におけるインターネットの商業化を促した。第三は、ネットワーキング・テクノロジーを支援するために、各機関が緊密に連携した結果、インターネットの商業化が成功した後、今日に至るまでその発展が継続しているという点である。成功を機に、さまざまな方向での独立採算化といった道が開かれる。また、現行の機関合同のITRプログラム・イニシアチブは、インターネットの進化の面で我々が見てきた直接的な経緯につながるものである。この点については、次の章で詳しく検討する。
人工知能 (AI) は、1950年代に初めてその概念が提案されて以来、常に議論の対象となる研究分野として扱われてきた。これは、米国内だけに限らず、世界中での賛否両論を巻き込む議論にまで発展している (日本の第5世代コンピュータ・プロジェクトを、始まる前から、失敗と断じた人々のことが思い出されよう)。AIは、その着想以来、紆余曲折を経ながらも、50年を経った現在でも生き続けている。実際、今日のAI研究は、さまざまな形態や旗印ののもとで続行され、世界各地で産官学合同の多様な環境で実施されている。この分野は、AIの主たる目的が、人工知能の研究やエミュレーションの追求にあった初期の頃に比べ、その活動の中心が変化し、成熟度も増してきた。ここ10〜15年間にわたって米国政府や産業界が支援してきた最近の研究は、実用的なアプリケーションに対応する方向で一段と多様化している。結果として、コンピュータ科学とインターネットの発展とともに、AIは他の多岐の分野にわたる研究の対象として、また幅広い応用分野に組み込まれた主要テクノロジーとして定着するようになった。AIのアプリケーションは、クレジットカードの不正を検出する金融システムをはじめ、音声を認識する電話システム、問題の発生を認識して、適切なアドバイスを提供できるエクスパート・ソフトウェア・システムに至るまで多岐にわたる。こうしたテクノロジーも、過去30年間にわたる連邦政府のAIに関する基礎研究への粘り強い支援がなければ、今日のように日の目を見ることはなかった。
本報告書の主旨は、AIの研究自体ではなく、AIに対する連邦政府の支援が、どのように貢献したかを検討することにある (AI研究の概要を議論するだけでも、本報告書と同じ程度のボリュームが必要になる)。AIの進化の過程で、個々の機関が特定の時期に果たした役割を検証することによって、機関間の連携がどのような影響を及ぼすのかを垣間見ることができる。
分野の誕生
AIは一般に、1955年当時、人工知能の数学モデルに関心を持った学会が中心になり、ダートマス大学で始められたとされている。しかし皮肉なことに、1950年代後期から60年初期にかけてAI研究の初期的な活動に着手/育成してきたのは主として民間部門であった。当時は主にIBMとBell研究所が中心となって、大学が協力する形で、以降何年にもわたって続けられる研究活動の基礎を形成した。
政府機関の参加
米国政府、特に国防総省のAIに対する関心は、海軍研究局 (Office of Naval Research) がカーネギー工科大学(当時)に在籍したハーバート・サイモン (Herbert Simon) の研究活動を支援したことに端を発する。以降、米国空軍による財政支援も加わった。この活動はやがて、一般にはAIプログラムの最初の成功例として認識されている "Logic Theorist"に発展することになる。これは、高度なロジック分析者と同じ手法で論理上の問題を解決できるというものである。その他、GPS (一般問題解決器) やAIプログラミング言語(LISPなど) といったAIプログラムも、新たなAI時代の幕開けを象徴する動きである。特に、DARPAは、AI研究の本格的な支持機関となった。
DARPAが果たす中心的な役割
1960年代中ごろに始まり、以降30年間にわたって、AIの研究には、DARPAを中心としたDODから潤沢とも言える財政支援が確保されたことに加え、規模的には小さいものの陸軍、海軍、空軍の各研究局 (順に、ARO、ONR、AFOSR) からも資金が調達された。1962年に、DARPAが情報処理技術室 (IPTO: Information Processing Technologies Office) を設置したことを機に、AIを支援するDARPAの役割も大きく様変わりした。さまざまな変化の1つとして、IPTOは、規模の小さい多数のプロジェクトをまとめて扱う方針を取り止め、大規模なハイ・プロファイルの分野を支援する方向に切り換えた。これに伴い、AI研究の特性も一変した。最大の変化は、MIT、CMU、スタンフォード大学、業界サイトといった主要な学術センターがいくつか出現したことであろう。各組織が、AIの軍事目的に向けた応用の潜在性を探るべく、基礎研究や応用研究を重ねるようになった。AIに加え、規模の大きいハイ・リスクの戦略に向けたDARPAの支援を背景として、この分野は本格的な学術研究の対象として確立されるようになった。AI研究にとってまさに、黄金期となった。AIの目覚ましい発展の多くが、この黄金期に誕生した。たとえば、音声/言語認識、画像処理、コンピュータ・ビジョン、知能ロボット、機械学習、知識ベース・エキスパート・システムなどは、その一部にすぎない。このうち、すでに商業市場への進出を果たしているものもある。また大部分は、基礎研究と実用化の両面で着実な成果を上げている。
1980年代初めに、DARPAのAIに対する支援は、もう1つの大きな変革の時期を迎えた。これは主として、政治的な理由と組織的な理由によるものである。ここには、AIが、国防やその他の分野での応用に関連性があるのか、あるいはその潜在性があるのかという長年にわたって指摘されてきた命題がある。この対応策としてDARPAは1983年、SCP (Strategic Computing Program) に着手し、10ヵ年計画のプログラムに10億ドルを超える予算を充てることを確約した。SCPの目標は、AI研究への再投資を促進すると同時に、大学主導型のAI研究から防衛産業、その他商用アプリケーションへの移行を早めることにあった。またSCPでは、AI研究コミュニティを中心に科学者や大学院生を育成することにより、この分野での人材を拡充することを方針とした。以上の目標が達成されれば、AIに対する期待と長期的な利益を生む潜在性の面で、この分野の位置付けが一段と向上することになる。ところが、この10ヵ年間計画は予定よりもはるかに短命に終わり、連邦政府の予算に赤字の気配が濃くなってくるに従って、DARPAの AI財政支援も先細りになった。同時に、これ以外の機関でも、DARPAの活動を補完しつつ、DARPAに代わってSCPの目標を達成するための機会が模索されるようになった。こうした動きが、いわばAIにとっての救いの手となり、省庁間の関係を象徴する歴史上での大きな転換点となった。
NSFによる政府関与の拡大
NSFは、AI関連の研究活動における役割の模索を続けるうちに、1980年代中ごろに、コンピュータ関連の研究開発プログラムの再編に乗り出した。続いてコンピュータ情報科学工学局 (CISE: Directorate for Computer and Information Science and Engineering) という独立機関を設置することにより、数学やエンジニアリングなど各分野同士の連携を強化した。この再編成は、直ちに、AI研究を中心とした財政支援の大幅強化とビジビリティの向上をもたらした。現在、CISEの管轄下に情報ロボット工学知能システム部 (IRIS: Division of Information, Robotics, and Intelligent Systems) という新しい部局が置かれている。IRISは、AIを中心とした数々のプログラム・ユニットで構成されている。たとえば、認知/知識システム、ロボット工学、マシン・インテリジェンス、コンピュータ・ビジョン、自然言語処理、情報/データベース管理などがある。CISEとIRISは、以後15年にわたって、AIが正式な分野として確立するまで、多岐にわたって多大な貢献をもたらしてきた。
まずAIの分野における主な資金源として、政府に代わりNSFが参入したことは、研究活動の状況を一変させた。DARPAが大規模でハイ・リスク型の管理の故に、少数の研究機関に依存する結果となっていたのに対し、NSFは、資格のある大学がすべて、資金源を求めて競争できるように広く均等の機会を与えるようにした。この結果、国のAIや関連分野に関する研究開発能力が、一定の期間を経て格段に向上するようになった。また、NSFには、研究と教育の統合を通じて、あらゆるプログラムで人材開発を最優先の課題として捉えるという役割が与えられていた。IRIS内部やNSF部局全体を通じて、数多くのプログラムが設置されたことにより、大学院生が研究プロジェクトに参加するための機会が増えた。研究と教育の両方の分野にわたって、課題の範囲を拡大することにより、AIは新たな弾みを付けて、国家の人的資源と研究基盤を構築する上で着実に貢献した。NSFが果たした具体的な貢献を定量化することは難しいが、ここ35年間にわたってAIや関連分野でのPh.D.取得者の傾向を振り返って見ると、その影響の一部をうかがうことができる。図4.2に、1956〜1995年までの各大学におけるPh.D.取得者の数の推移をまとめてある。1980年中ごろ、すなわちNSFがAIプログラムを設置した直後に、Ph.D.の数が急増し始め、1990年半ばまで毎年上昇の傾向が続くことがわかる。

図4.2 AIおよび関連分野におけるPh.D.取得者の数
出典:"Funding a Revolution"、National Academy Press、1999年、第5章より作成
分野間に見られる緊密な相関関係を、単一機関による新たなファンディングの結果の反映と解釈すべきではない。他にも、様々な要因があり得るからである。たとえば、DARPAが支援する主なAIセンターから輩出された数多くのPh.D.保持者がAI研究を携えて、別の大学に移籍 (新しいAIプログラムに着手する研究員として) したり、別の大学でのAI研究と合体したりする可能性もある。いずれにせよ、AI研究に向けてNSFが資金援助を拡大したことが、国内のAI研究者層を拡充する上で多大な影響を与えたことは間違いない。図4.3では、AIと関連分野におけるPh.D.の数と、コンピュータ科学全般の学位の数を比較している。この図から、1980年代半ばにNSFがコンピュータ科学とAIプログラムを設置する前と後を比較すると、どちらも明らかに一致した傾向があることがわかる。

図4.3 1956〜1995年の間にAIと関連分野、およびコンピュータ科学で提出された博士論文の数
出典:"Funding a Revolution"、National Academy Press、1999年、第5章より作成
AIと関連分野に対するNSFの支援強化による2つ目の影響は、プログラム管理の柔軟性と効率に関連するものである。NSFのプログラム・マネージャは、現在進行中のプロジェクトや新規のプロジェクトを実施するにあたり、補完的な関心や資源のある他の機関からの協力を積極的に求めた。この結果、NSFとその他の機関、特にDARPAやAI研究に従事する各機関の間で、数々の共同支援プログラムや新規プログラム・イニシアチブが誕生するようになった。NSFが再編を行ってから数年にわたり、機関連携の努力は、第3章で取り上げたようなさまざまな経緯を辿りながら、大きな成果を上げるようになった。これにより、機関同士の連携の強化、研究プロジェクトに向けた資源の拡充、揺籃期にある研究活動を支える新たな機会の提供といった成果が得られた。こうした見解を直接的に支持する統計データはないに等しいが、学界における二次的データが、ある程度参考になる。たとえば、2000年と2002年に米国人工知能学会 (AAAI: American Association of Artificial Intelligence) の全国会議で発表された論文には、AIの分野でNSFが果たす役割の進化や、その他の機関との関係に関する興味深いデータが示唆されている。論文の「謝意」に記載された基準に照らして、機関の支援規模を考えてみると、AAAI会議で報告された研究活動でNSF、DARPA、その他の機関がどのような役割を果たしたかを分類できる。表4.4には、特定の機関の役割別に、このデータを要約してある。この表から、NSFは大学におけるAI研究活動を支援する主要な資金供給源 (2000年で31%、2002年で40%) になっていることがわかる。これに対し、CISE/IRISの設立前は、DARPAが事実上、唯一の支援機関であった。DARPAは、その後の主要スポンサーであり続けたが、その役割は中心的な原動力から、協調的な機関へと変化していった。たとえば、DARPAとNSFの共同出資は、AIコミュニティに向けた支援のうち次第に大きな部分 (それぞれ28%と35%) を占めるようになっていった。
| 支援機関 | 2000年 | 2002年 | ||
プロジェクト数 |
合計 |
プロジェクト数 |
合計 |
|
| NSFのみ | 21 | 31% | 21 | 40% |
| DARPAのみ | 7 | 10 | 11 | 21 |
| NSF/DARPA合同 | 19 | 28 | 18 | 35 |
| その他* | 20 | 31 | 2 | 4 |
| AAAIの合計 | 67 | 100% | 52 | 100% |
| * NSF/DARPA以外の機関:ONR、AFOSR、ARO、NIH |
また、同じデータを使って、単独の機関が支援するプロジェクトと、複数の機関が支援するプロジェクトを分類してみた。この分類の結果を図4.4にまとめてある。この図から、全体的なAI研究の状況のうち、複数の機関で支援される研究プロジェクトが過半数を超えていることがわかる。これは、NSF以前の時代には、夢想だにしなかったことである。

図4.4 AIにおける連邦政府による支援の変化