3.6 知的文書インタフェース
3.6.1 電子的な紙を必要とする社会背景
(1)情報電子化の急速な進展
WWWの出現により、それまで専門家にだけ利用されていたインターネットの利用普及が急速に進み、今日では新しい情報メディアとしてその地位を確立した。インターネットは単なるメディアの一つに留まらず、既存の通信メディアや放送メディアをも飲み込み、情報流通のための一大社会インフラとして普及することが期待されている。インターネットのこのような爆発的普及の原因は、情報が電子化されネットワークで配信されることにより計り知れないメリットを生み出すことが人々に理解されたからに他ならない。 後述する電子書籍や電子図書館もメリットが期待される適用例の一つである。普及にはまだ解決すべき課題があるものの、電子化の流れは止めようがないであろう。紙で読む方が良いか、電子化してパソコンで読むか、ディスプレイでは文章をじっくり読めない、薄くて軽い電子ブック端末が出現しないと電子化は普及しない、等々の議論がこれまでもあったが、状況は既に「紙」対「ディスプレイ」の議論から「パッケージ」対「ネットワーク」の議論に移っているという指摘がある[合庭99]。即ち、出版社側はパッケージ(書籍)として販売するか、ネットワークからダウンロードしてもらかの選択を迫られつつある。新聞においても、既に原稿はコンピュータで作成されており、そのままネットワーク配信可能ならば印刷と配達に必要な膨大なコストが削減できると期待されている。
(2)健常高齢者の急増
人口の高齢化は先進諸国共通の問題である。生活向上や医療技術の進歩で寿命が延びる一方で、少子化により若年層の人口が減っている。結果として、高齢者の占める比率は今後増加の一途であり、例えば我が国の場合、2025年には人口の約半分、即ち二人に一人は50才以上という状況が予測されている[人口00]。しかも50台、60台はまだ健康に働ける世代である。しかしながら高齢化による肉体的な衰えは避けられず、細かい字は読めない、疲れるといった目に関する機能の劣化はコンピュータ作業でのハンディキャップになる。加えて、上述したように情報電子化が急速に進むために、日常業務を全てコンピュータで行わざるを得ない状況にある。長時間の作業にも疲れない、目に優しいディスプレイの実現は高齢者にとって必須となろう。ディスプレイを紙や印刷物に近づけることが望まれる。
(3)紙資源の枯渇
オフィスでのコンピュータ利用が始まった当初は「ペーパーレスオフィス」の到来が期待された。しかし、現実はまったくその反対で、情報電子化に比例して紙の消費量は増大してしまった。理由は今のディスプレイでは「快適に読めない」からである。コンピュータディスプレイの解像度は一般に72〜100dpiと低く、紙の300dpi以上(グラビア印刷では数千dpi)とは比べものにならないし、自己発光するために目が疲れ易い。また、高価で場所を取るディスプレイは通常1台しか利用できないし画面サイズも限られているので、1ページを一度に眺められない、複数の文書を同時に読めないという制約がある。結果として紙へ一旦印刷して読むことが多くなる。最近は高性能プリンタが廉価に入手できるので、気軽に印刷する傾向に拍車をかけている。多くの場合、これらの印刷出力は1回読まれて不要になるもので、紙の無駄使いになっている。 出版その他も含めた紙の消費量は米国がトップで一人当たり年間319kg、次いで日本が二位で245kg。一方、人口が日本の10倍以上ある中国ではまだ日本の1/10程度しか消費されていない[林98]。紙資源は石油のような天然資源とは異なり植林や紙の再利用で供給し続けることが可能であるが、中国やインド等が欧米並みに消費するようになるとその需給バランスは確実に破綻する。これを回避するためには紙に代わるメディアを創造する必要がある。
(4)活字文化の衰退
Webを探索すれば必要な情報が手に入るようになった反面、宿題をネットから入手した情報の切り貼りで済ませる学生が増えたとの報告がある。自分ではあまり考えないので、問題への理解力は落ちているそうだ。ワープロやDTPを使うと内容より見た目を立派にすることに時間が取られることは多くの人が経験している。簡単に直せるため締め切り間際まで修正努力する羽目になり、却って手書きの時より時間をかけてしまう、という話も聞く。「ワープロは軽い文章を大量生産するだけ」と、最近もある作家がワープロ決別宣言をした。小松左京氏はワープロ誕生時に真っ先に利用した一人だが、ワープロを捨てたのも早い。クラッカー追跡の顛末を書いて有名になったStoll氏は筆記用具の作品への影響についての個人実験で「ワープロソフトはとにかく文字数が稼げる、タイプライターに向った日はコンパクトで抑制の効いた文体になる、手書きの日は人との関わりや生い立ちについて書くことが多い」と述べている[Stoll97]。
3.6.2 電子ブックへの期待
(1)電子ブックの普及動向
電子ブック製品化の試みは古くからあるが、一方で小型ノートパソコンと競合し、もう一方で廉価・軽量な紙の本と競合するという難しい市場であるため、記憶容量と検索機能が活かせる電子辞書以外はこれまで成功していない。インターネットが普及したこともあり、米国では2年程前から再び電子ブックの商品化が活発になった。まだディスプレイ解像度や大きさ重さに不満があるもののRocket
eBookやSoftBookがここ1年程善戦している。特にeBookはコンテンツもまだ2000冊と少ないが、本をネットワークから入手できる手軽さが定着しつつあるようだ。製品価格が下がったこと(安売り店では$200前後)もプラスに影響している模様[NewsWeek99]。
これらの動きと並行して、関連企業がOpen eBook Initiativeというコンソーシアムを作り、電子書籍コンテンツのファイル形式を策定した。これはXMLをベースにしたもので、パソコン用のReaderソフトがメンバ企業であるマイクロソフト社やAdobe社から製品化される予定になっている。この業界標準作りには米国標準局NIST(National
Institute of Standards and Technology)のリーダシップに依るところが大きい[OEBF00]。電子ブック各社はこれまで独自ファイル形式で製品化しているが、標準仕様を扱えるようになる予定。今後は世界に向けての普及拡大を狙っている。
日本でも、通産省の働きかけで出版社、電子機器メーカーによる電子書籍コンソーシアムが誕生し、昨年11月より実証実験が開始された。端末はシャープが開発した170dpiという高精細反射型LCDを搭載、コンテンツも5000冊でスタートと意欲的な取り組みである(図3.6-1)。
試作機500台による実験は本年3月で終了したが、残念ながら活動は一旦打ち切りで今後の展開のメドはついていない。途中報告によると、端末の携帯性(大きくて重い)や消費電力(1〜2時間しかもたない)、書店でのダウンロードに手間と時間がかかる(数十分)という問題が指摘されており、目標設定が高すぎたように思われる。
電子書籍コンソーシアムではコンテンツを画像イメージ、即ちビットイメージファイルとして定義しており、テキスト検索など、コンピュータ処理が活かせないため将来展開には不安がある。一方、日本電子出版協会はXMLベースの規格JepaXを策定。今後、米国のOpen
eBook仕様との関係も含めて日本でも電子書籍標準化の議論が高まるであろう。

図3.6‐1 電子書籍リーダー[電本99]
(2)本の電子化
電子ブックに何を期待するかは人によって、また国によって事情が異なるそうだ[bit99]。ハリウッドに代表される映像文化が支配的な米国では、マルチメディア本のような動画やアニメ等、コンピュータの機能を活かした新しいメディアへの期待が強い。識字率が低いことも背景にありそうだ。一方、日本やアジア諸国ではまだ活字文化が根強く残っている。本来紙の本が望ましいのだが電子化せざるを得ない状況と言える。例えば、日本の出版状況(98年)によると、本の返品率40%、年6.5万冊の新刊本の大半が1年後に絶版という凄さである。出版社も書店も売れるベストセラー本しか扱いたがらないため、良書であっても発行部数の少ない本は益々敬遠されることになる。出版活動を健全に保つには電子化による流通/在庫コストの削減が不可欠となってくる。具体策の一つとして注目されているのが「プリントオンデマンド」で、出版社が顧客の注文を受けてから印刷するという方式である。しかし電子ブックが成功すれば印刷も不要になる。書籍の電子化は流通面でのメリットが明らかであり、あとは読取端末、特にディスプレイの問題になろう。
3.6.3 現状のディスプレイの問題点
10年程前にコンピュータ端末による疲労や障害が問題となったが(VDT健康障害)、CRTディスプレイの解像度向上やリフレッシュレートの高速化/ノンインターレース化によるチラツキの低減等で現在はあまり問題視されることが少なくなった。普及し始めたLCDディスプレイではチラツキがほぼゼロに近い。そういう意味で、ディスプレイの目に対する影響についてのはっきりした研究データは無いが、日常の体験としてパソコンで文章を読む時に目の疲れを感じるのは事実である。多くの人が読んだ気がしない、と紙に印刷してから読んでいる。電子メールをわざわざ紙に出力して読む人もいる。報告者は見にくさの主原因を自発光であること、解像度の低さによる文字輪郭のボケやにじみと推測し、紙指向端末研究の一環として反射型高精細(177dpi)LCDパネルを開発した[横田98]。
一方、コンピュータを使いこなすには、推論能力、空間的な記憶力、言語能力が必要といわれている[Landauer95]。表示インタフェースに関して言えば、常にページの一部しか見えない状況を思考力で補う必要がある。分厚い本からの拾い読みや、書類の山から目的の資料を見つけることは人間にとって容易であるが、1画面しかないコンピュータで同じことをやるのは難しい。全体の中での位置を常に頭の中で把握しておかなければならないためである。スクロールというのも昔の巻き物に後退したに過ぎない。大事な箇所に線を引いたりマークしたりする動作は人間にとって理解を助ける重要な行為であるが[Adler72]、コンピュータでは出来ないのが普通である。紙の持つ優れた点を活かしつつ、コンピュータ出力を表示できることが理想である。その一つの候補が次に述べる電子インク技術である。
3.6.4 電子インク技術の台頭
表面に塗布された微小粒子の色を変えることで情報表示を実現する新しい方式の研究が数年前から活発化し、あるものは実用レベルに達している。これらは顔料が光を反射するので視覚的に印刷物に近い。また印刷技術と同じような手法で製造できるために低コストで大きなサイズを実現できることが利点である。このような技術の総称としてここでは「電子インク技術」と呼ぶ。(最新情報は「付属資料2 海外調査報告(米国)」参照)
(1)EInk社
Immedia EInk社はMITで開発された電子インク技術を製品化するために設立されたベンチャー企業で、Immediaは商品名。電子インクの基本原理は、電気泳動方式として古くから研究されていた技術。2枚の電極の間に青色の染料を満たし、その中に白色の粒子を混ぜる。電界により白色粒子を表面に浮上させる(白く見える)、もしくは染料の底に沈める(青く見える)ことにより白/青2色を表示させるというもの。白色粒子が凝集してしまう、電極との相互作用で染料が退色する、電界に対して横方向に動いてしまう、などの欠点が克服できないうちにLCD技術の台頭により注目されなくなった。電子インクとして復活した鍵はマイクロカプセル技術により染料と白色粒子を微小球体の中に閉じ込めたことである。これにより、白色粒子の相互作用を局所化でき、また電極との直接接触を回避することが可能となった(日本ではNOK(株)が電気泳動ディスプレイを微小区画に分割する改良研究を長年続けており、マイクロカプセルを利用するというMITと全く同じアイデアに独自に到達していた)。
図3.6‐2 マイクロカプセルによる電気泳動ディスプレイの改良[NOK98]
図3.6‐3 EInk社電子インクImmediaの展示例(JCPenney)[Eink00]
駆動電極を微細化していけば細かい字を表示できるが(現時点で100dpi)電極/配線コストが高くなり電子インクのメリットが薄れてしまう。Immediaはむしろ看板用の大型パネルを目指しており、最初の製品として1文字7cm角で1行16文字、行数は1〜3行、を基本パネルとしてサンプル出荷している。表示は今のところアルファベットのみで、例えば0を表示する時に角を丸くできるように電極パターンが分割してある(図3.6-3)。
(2)Xerox PARC
Gyricon Xerox PARCでも電子的な紙Gyriconを開発中である。実はこちらの方が研究歴は古く、MITの電子インクのきっかけを作ったとされている。原理は半分白、半分黒に塗られた微小球体を電界によって回転させる、というもの。微小球体は透明なエラストマに包まれてシート状にされるが、エラストマとの間に僅かの隙間が作られ、そこにオイルが満たされているので自由に回転することができる。黒と白の半球は夫々反対の表面電荷を持つように設計され、外部から電界(現時点では±100V)をかけることにより白もしくは黒に反転させる。Gyriconも製法は比較的簡単で、大型シートを廉価に製造可能。駆動電極で挟めばImmediaと同じ使い方はできるが、Gyriconはむしろ再書き込み可能な紙を狙っており、ハンディな書き込み機の開発を並行して進めている。現時点の解像度は100dpi程度であるが、3Mと提携して300dpiで新聞紙の明るさの実現を目指している。
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図3.6‐4 Gyricon回転状況 |
![]() 図3.6‐5 Gyriconシート[Xerox00] |
![]() 図3.6‐6 Gyriconディスプレイ版(右)と紙版への書込みイメージ(左)[Xerox98] |
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3.6.5 ビットから再びアトムへ
MITのN.ネグロポンテは電子メディアの時代を予見してメディアラボを創設し、95年に全てのモノが電子化される「アトムからビットへ」の流れをBeing
Digitalとして著した。電子化のメリットは確かに非常に大きく、この流れは確実に浸透しつつある。しかしながら、電子化された情報を最後に取り扱うのは結局人間であるのも事実で、そのためには再びビットからアトムへの還元が必要となる。
我々は今、コンピュータのディスプレイという小さな画面一つで電子世界を覗くことを強いられている。これは水族館の大水槽に取り付けられた小窓を通して目の前を通り過ぎる魚だけを眺めているのに等しい。これからは情報家電の時代であり、全ての日用品がネットワークに接続されてアクセス可能になる。そこでは電子情報はむしろ目に見える日用品の形でアクセスされるべきである。Augmented
Realityは人間の動作をカメラで認識したり机等に情報を投影することで我々が普段接しているモノを通じて電子世界とのインタフェースを取ろうという試みである。日本では実世界指向インタフェースと呼び変えて、よりその定義を明確化している。これを更に推し進めたのがメディアラボで提唱されているTangible
Mediaのコンセプト、即ち電子情報を「触れる」ものとして表現する試みである。電子的な紙(電紙)の実現とは、電子文書をTangibleにすることに他ならない。
図3.6‐7 電子世界と実世界のシームレス接続
電紙によって、初めて我々は従来の紙と同様に、電子文書のページをめくったり、何枚も広げて眺めたり、その上に書き込みをしたりすることができる。階層構造のフォルダやディレクトリは論理的ではあっても普通の人には扱い難いものである。むしろ、フォルダが現実のキングファイルに対応して物理空間に置かれていることの方が遥かに扱い易いであろう。電紙の実現はそれを可能とするTangibleメディアの一つと言える。
3.6.6 今後の電紙研究への取り組み方
アイデアをまとめる時には紙と鉛筆が向いている。その理由は、書く作業が全く無意識に行えるために思考に集中できるからであろう。パソコンではキーを打つ事や、ローマ字漢字変換が思考を妨げる。イメージや相互関連を絵にしたいと思ったらお絵描きのために別のアプリを動かす必要もある。コンピュータの操作インタフェースは人間が無意識に操作できる程簡単で、かつ文字や絵を含む多様な表現を可能とすべきである。また、聞きながらノートを取る、原書から書き写す、本に書き込みする、等我々が理解を深めるために経験的に用いている行為は、「ペンで書く」動作そのものが記憶を脳に定着させる働きを持っているように見える。「紙と鉛筆」の操作インタフェースの実現は智の源泉に関る重要なテーマと言える。
電子ブックに関して米国ではマルチメディアへの期待が高いようだが、紙を電子化しただけのテキストベースの電子ブックにも未来があると思う。活字ベースの書物は読み手が空想できる最大限の自由がある。TVドラマや映画化された小説を見てしまうと、登場人物を始めとして全てがリアルになった分、視聴者の空想が入り込む余地はない。その後いくら原作を読んでも映像の記憶を消すことは難しい(報告者はGreat
Gatsbyを読む度にロバート・レッドフォードの顔が浮かんでしまう)。面白い小説は装丁の立派なハードカバーだろうと安いペーパーバックだろうと面白さには少しも変わりがない。加えて、テキストはネットワークで配信する際も最も安上がりなメディアである。あとは心地良い読み易さを提供できるか否かにかかっている。それには電子インク技術が明るい未来を暗示している。
電子インク技術は日本の先端技術が活かせる分野である。半導体やLCDで培った微細電極技術があり、高分子フィルムや印刷技術を含むファインケミカル技術がある。これまでの成功例と同様、アイデアでは米国に先行されても実用化で追い越せる可能性は非常に高い。問題は新しい未知の市場に向って異業種の連携ができるか、ベンチャー精神が発揮できるか、にかかっている。
従来、日本企業は押しなべて保守的であり、誰かがやり始めて(殆ど米国)、うまく行くことが見えてから進出するのが常套手段であった。しかしながら技術進歩の早い今日ではこのようなローリスク/ローリターンのアプローチでは競争力が全く無くなってしまった。米国ベンチャーはハイリスク/ハイリターンで凌ぎを削っており、それがまた新しい技術や市場を生み出す良いサイクルを産み出している。我々も望ましい電子化社会の実現のために電紙の実現を目指そうではないか。活字文化の保存、あるいは新しい形での再生という視点では、国の政策に関る課題になろう。単なる便利さや効率だけを求めた代償として失われてしまった大事な慣習や文化がある。売れるモノが必ずしも健全はモノではない。市場原理に全てを委ねるのではなく、社会の「あるべき姿」は国策として提案・実行していく努力が必要である。我々の目標はコンピュータに振り回される情報化社会を構築することではなく、人間を「より人間らしく」するためのコンピュータシステムの実現を目指すべきである。
参考文献