情報技術は、あらゆる産業分野の基盤としての性格を持つ。この分野の研究開発の成否が、わが国の将来を左右すると言っても過言ではない。また他の分野の研究開発も情報技術に無関係に進められるものは、殆んどない。このような認識は既に広く行き渡っている。
このように重要視されている情報技術であるが、わが国において研究開発が十分に行なわれているかというと、現状のままでは万全とは言い難い。日本は電子立国と言われるほどにハードウェアの製造技術に優れ、一時期は世界の工場と呼ばれたこともある。しかし情報技術の中で最重要とされるソフトウェアにおいては、未だに米国の後塵を拝している。近年の普及が目覚しいコンピュータ・ネットワークにおいても、日本から発信した技術は数少ない。果たして21世紀にわが国の情報立国は可能であろうか。
本報告書は、これまでに行われた国が支援する研究開発プロジェクトの問題点を分析し、解決の方策を探り、今後の方向を提起するものである。
(1) 壮大な構想の必要性
情報技術は、ハイテクと呼ばれて持てはやされている。いかにも時流に乗っているように見えるが、現実に短期的なマーケットが見えてしまうと、企業の研究開発は目先の製品開発に近いものとなる傾向がある。このような状態を放置すると、中期的には産業の競争力が低下してしまう。
情報技術の研究開発において国の果たすべき役割は、まず将来の社会を描くことである。そこから根幹となるべき技術、その実現手段が導き出される。このような構想を打ち立てることは、情報技術に限らず日本全体として必要なことである。将来の社会は、現在の姿を単純に外挿して描くものではない。また傍観者的な技術予測でもない。将来のあるべき社会の姿を描くこと、それを対外的に説明することは、わが国の国際貢献としても、また国家としての競争力を維持するためにも、甚だ重要である。
国家としての将来構想を組み立てるのは、必ずしも情報技術分野だけの役割ではない。国内のあらゆる力を結集すべきである。ただし冒頭に述べたように、すべての分野において情報技術の活用が不可欠となっている。情報の側からの積極的な関与がなければ、国としての将来構想を立てることは困難である。
変化の激しい現代であるから、将来の構想を示すのは難しいことである。個別の企業、あるいは個人にとっては不確定の要素が多すぎる。このような時代にこそ、国としてのビジョンを提示する意義は深い。
(2) 計画研究から柔軟型への転換
これまでの日本における情報技術の研究開発は、ごく少数の例外を除いてキャッチアップ型であった。一見すると日本独自の技術開発のように見えても、大分類をすると既存技術の改良というプロジェクトも存在した。先行指標が明確な場合には、従来の日本型の研究開発は大変に能率が良い。ただし過去に成功した制度でも今後は阻害要因となり得る。既に現在でも多くの問題点が指摘されている。
従来型の研究開発では、まず計画を綿密に立てる。目標が明確であれば、最終ゴールだけでなく途中のマイルストーンも自然に提示することができる。目標までの距離が十分にある時、つまり日本の技術が大幅に遅れている分野では、計画を途中で修正する必要が少ない。ひたすら目標に向かって走る。そのためにはスタート前に詳細な計画が出来上がっている方が都合がよい。従来は計画段階で多大な労力を費やしていた。
現在の情報技術においては、米国が先行しているとは言っても、一昔のような大差がある訳ではない。米国を目標としてキャッチアップ体制をとろうとしても、標的が刻々と変化してしまう。あたかも市場経済のような様相を呈する。情報技術は、もはや社会との相互作用を抜きに語ることができない。研究開発の目標が途中で変化するのは止むを得ない。
歴史的に見ても、計画経済という図式は成立しない。それを認めるならば、研究開発において高度の計画性を期待するのは所詮は無理な話である。原理的に不可能なことを試みると徒労に終わる。過度の計画性を捨て、柔軟に対処するシステムを採用すべきである。ここに柔軟とは、必ずしも無計画を意味しない。先に述べたような将来の社会像が描かれていれば、それを指針にして方針を修正することができる。
米国のInternet2の骨格をなすvBNS (very high performance Backbone Network Service)は、計画の柔軟性を示す好例である。vBNSは最初は僅か数箇所のスパコンセンターを相互に接続するネットワークであった。その利用は低調であり、米国政府も失敗と認めた。失敗したから止めるかと思うと、その逆に利用機関を100箇所に増やすという決定をした。この100箇所という数字とInternet2の約100大学という数字がうまく符合する。結局、vBNSは米国政府の次世代インターネットを促進する計画の一翼を担うことになった。
今後の研究開発においては、国が支援するプロジェクトにおいてもリスクが伴う。見通しの立つ研究開発ならば民間企業が実施するであろうから、国の役割はますます不確定なプロジェクトになろう。そのような場面で高度の計画性を求めるのは無理がある。プロジェクトの途中でも柔軟に変更ができなければならない。そのような運営に責任を持つためには、国の側にも専門家が必要となる。
(3) 専門家の役割と責任
情報技術に限らず、研究開発の成否は人材に大きく依存する。先端を走るような研究には何らかの新しい要素が含まれる。新しい技術や知識を蓄積しているのは人間であるから、新しいアイデアを生み出すのも人間である。そこに専門家の役割がある。情報技術においても、優れた専門家にぜひとも活躍してもらわなければならない。
キャッチアップの時代には、専門家の役割は既存技術の理解、そして改良であった。先行指標が見えない時代においては、新しいコンセプトを生み出す専門家が必要となる。この専門家はプロジェクトの中で活躍するのはもちろんであるが、国の側にも高度な専門知識が必要とされる。そのような体制を整備しないと刻々と変化するプロジェクトの運営が滞ってしまう。
先に挙げたvBNSの例で、NSF(全米科学財団)において方針を策定した担当官は、いわゆるRotatorであって、直前まではアイオワ大学の教授であった。このようなプログラムマネージャと呼ばれる制度は、日本には存在しない。わが国においてもプログラムマネージャを導入すべきであるという意見が高まっている。
この種の議論は、実は社会の至るところで行なわれるべきである。企業においてもスペシャリスト(専門家)を養成するのか、社長はジェネラリスト(万能選手)が就くべきであるのか、大いに討論されている。これまでの日本社会においては、役所においても企業においてもエリートは万能選手であるべし、と思われていた。これは今までの社会では意味のあることであった。社長は工場も知っているし、営業の経験もある。
ところで、情報通信の発達はスペシャリストの役割を増大させる。何故ならば、情報通信は知的な作業における分業を徹底化する。この「分業」という概念はアダム・スミスが「諸国民の富」(国富論)の中で始めて提起したという。アダム・スミスが分析した産業革命は、まさに運輸技術の進展に伴う分業の始まりである。現代の情報革命は、通信によって分業をさらに進展させる。社会の分業がうまく行なわれるならば、専門家同士の連携ができる。分業が進展することは、専門家の役割を増やすことである。
現在は、まだ社会的な分業の進展の途中であるから、何事でも一人で解決できる万能選手の存在意義が大きい。従来の日本社会はジェネラリストに依存していたように思う。しかし上に述べたように専門家の役割が今後重要になるのは不可避である。プログラムマネージャのような制度は、このような社会の進展から見ても意義深い。
従来のプロジェクトにおいても、専門家は確かに関与していた。特に計画段階では多くの人が協力をしている。ただし本職としてプロジェクトの運営に責任を持つ人の数が少なく、国の側では担当官が多くのプロジェクトを掛け持ちをしている。このような人的資源の割当法は、キャッチアップ時代には能率の良いものであったが、先端的な競争の時代においては頭脳力が不足する。米国におけるプログラムマネージャの圧倒的な人数を聞くと、これまでの日本が少人数でよく出来たものだと感心させられる。
(4) 成果の取扱い
国が研究開発プロジェクトを支援する場合には、その成果の取扱いが問題となる。上に述べたように専門家が国の側に立ち、プロジェクトの運営に責任を持つとしても、プロジェクトの成果として求められている要件を無視できない。つまり成果の形を規定することは、プロジェクトの運営に重大な影響を及ぼす。
本報告書においては、従来の具体的な問題点を指摘している。詳しくは本文に譲る。例を一つ挙げるとすれば、成果物としてソフトウェアのソースプログラムを納入するという制度は不合理であるという指摘がある。
そもそも国の財産とは何を意味するのか。プロジェクトを支援するために1億円の支出があり、それが無駄使いでないというために、1億円の価値のある成果物を納入する。それは形式的には正しい議論のように思える。ただし、形式的に整っている成果物でも、それを活用することが事実上は困難であるとすれば、本来の成果物ということはできない。
成果物の種類を拡大する工夫が必要である。情報技術を標榜するならば、情報に価値を認める方策を採らなければならない。また知的所有権の取扱いにも工夫を要する。国のプロジェクトであるからといって、国の権利を主張しすぎると、結局は成果が活用されずにお蔵入りとなって、国民のためにならない。
今後の成果の取扱いにおいては、二つの相反する要素を勘案しなければならない。まず、成果をオープンにするという原則が重要である。国のものは国民のものである。成果が広く公開されることが望ましい。この原則が有効であることは米国の例を見てもわかる。その一方では、開発者にとって国の支援を受けるメリットがなければならない。1億円を受け取って、1億円の価値のものを納めるだけでは、何の損も徳にもならない。その成果がオープンになるとすれば、なおさらである。現実には成果をオープンになっても、そのままでは活用されにくい場合もある。成果を納税者に還元するという観点に立つと、開発者に一定の権利を与えて成果の活用をはかる方が好ましいケースもある。以上の二つの要素は、単純に割り切れるものではなく、いずれも重要である。このバランスをとることは難しく、種々の議論を呼ぶ筈であるが、国としての方針を適切に決めなければならない。
(5) 予算の使途
現状の問題点の一つとして、予算の使途に関するものがある。特に、国の資金が人件費として有効に使えないという問題が指摘されている。もちろん現状の制度には、それなりの理由があるのだが、研究開発の予算の使途に制約が多いのは事実である。
予算上の制約は、上に述べた高度の計画性とも関係が深い。予め決められた費目にしたがって予算を立てる。予算は計画の一部であるから、予算の通りに執行するのが好ましい。費目の間で転用することも、なるべく避けた方が良い。予算と決算の数字はピッタリと合致する方が良い。このような考え方は、特に国が支援する研究開発でなくても、日本社会の至るところで見られる。
結局のところ、日本人は真面目である。それが高度の計画性に現れており、予算も計画と表裏一体となっている。年度の途中で新たな支出が必要となっても、それに該当する費目がない。このような硬直化した体制が意味を持つ時代は終わってしまった。先に、過度の計画性を捨てて柔軟に対処することを強調した。予算の使途も同様である。方針を変えようとしても、予算が変更できないのでは、実際には執行できない。
人件費に関する考え方は、先に論じたプログラムマネージャの身分とも関係がある。つまり、研究開発に従事する人の立場、あるいは所属、処遇、という観点で考えることができる。問題点として指摘されたように、国が支援するプロジェクトは、あくまでも支援であるから、ある企業の人件費をすっかり面倒を見ることはしない。つまり、その研究者ないし技術者は文字通りのフルタイムではない。プロジェクトに関与している分の人件費だけが国から出る。恐らく今後の方向は、プロジェクトの中で人件費の占める割合が増加せざるを得ない。それは専門家を、よりプロジェクトの中に取り込む方向を意味する。
(6) 情報技術は社会を変える
今日の情報技術は、社会の神経網を形成している。それだけに社会からも大きな期待が寄せられている。ただし情報技術は完成の域に達しておらず、今なお急速に発展を続けている。換言すれば、情報技術の課題は、社会の至るところで数多く発見することができる。本報告書の本文でも幾つかの例を掲げている。
情報技術に関する米国のPITACの報告書(1999年2月14日)が大きな反響を呼んでいる。確かに一読に値する内容である。一方で、この報告書は当り前のことしか述べていない、と感じる向きもあるだろう。何も驚くべき内容はないのだ。ここで重要なのは、報告書として明確に書いてあるという事実なのである。当り前のことが書いてある。それでも重要なのは、PITACの報告書が世界に向けて情報として発信されているからである。つまり内容よりは社会的なプロセスの方に意味がある。このような方策において米国は長けている。
情報技術は社会を変える。これは事実であるが、逆に社会の側が情報技術に影響を及ぼすということもできる。いわば相互作用が期待できる。これからの情報技術の研究開発においては、従来の社会で行なわれていた制度とは違った工夫があって然るべきである。そのような工夫をグローバルな視点で提示するのは、国のプロジェクトの役割にふさわしいものだろう。
本報告書においては、できるだけ問題を具体的に捉えるようにした。あまり抽象化してしまうと論点が不明瞭になるからである。その問題点を踏まえて、今後の施策についての提言をまとめたのが特徴である。本報告書が、情報技術の研究開発を論じる際の材料としてお役に立つよう念じている。
本章では、国が支援する情報技術開発施策、特に通産省の施策について、現在、産業界がどのような問題点を抱え、その原因や解決策としてどのような考えを持っているかについての調査結果について述べる。
この問題点の把握のため、国の情報技術開発プロジェクトに参加した経験のあるコンピュータメーカの有識者からヒアリングを行った。産業界の視点から見た問題点は次の3つに大きく区分できる。
1) 研究開発プロジェクトの目標の設定と見直しに関わる問題点
2) 研究開発プロジェクトの実施体制と運営に関わる問題点
3) 研究開発プロジェクトの成果物の定め方とその実用化に関する権利関係に関わる問題点
本ヒアリング調査の背景としては、米国技術に圧倒され、市場を席捲されつつある情報産業の国際競争力をいかにして復活させるかという、国、及び産業界の関係者の強い問題意識がある。この未曾有の経済危機の中で、有効な対応策を見いだすためには、国と産業界がこの危機の外的、及び内的要因について、まずは、共通の認識を持つことが重要である。しかしながら、かつては、一枚岩のごとき団結を誇っていた国の技術開発の担当と産業界のプロジェクトを実施する担当の間に、かつて無かったような認識の相違が生じ、これがプロジェクトの実施において、いろいろな摩擦や軋みを生じさせている。
本調査では、情報技術において、米欧諸国の企業との市場獲得競争で苦戦を強いられている産業界が、国の支援する情報技術開発施策について、何が問題点であると認識しているかを把握し、問題解決のための"出発点"としようと意図した。
時に、国は経済対策としてこれまでにない多額の補正予算を計上した。 通産省はこれを利用し新技術の研究開発プロジェクトを公募し、今その実施のただ中にある。
また、中央省庁等改革推進本部による行政機構の見直しや国立研究所などの独立行政法人化の議論が盛んに行われている。
その一方で、産業界においても、経済危機の乗切りと、来るべきボーダーレス経済社会への移行と市場確保を目指し、生き残りを賭けての大胆なリストラを実施している。
こうした流れ中で、国(官)のリーダーシップのあり方が問い直され、キャッチアップ型や護送船団型の従来の施策実施方式から、ベンチャー企業による新技術の企業化なども促進できる、個々の企業の自由競争を前提とする新しい国の施策の実施、運営方法が模索されている。
また、大企業内やその系列企業内におていも、集団主義や家族主義的な経営から、米国流のディジタル経済に基づく、個人の能力評価に基づく、個人レベルでの競争重視の経営へと大きく変貌しつつある。
このような大きな変革の波が否応無く、情報関連企業を革新へと駆り立てている一方で、国が支援する情報技術開発施策は、その変革への努力がなされてきたものの、その背後にある研究開発成果の形態や、その管理、また、実施に関する権利関係などに係わる法律等の制度自体は、抜本的に変更されることはなかった。
キャッチアップ型や護送船団型に代る、新しい研究開発の仕組みや制度の確立は、国有財産の管理や予算執行のルールを管轄する大蔵省を始めとする複数省庁間に跨る仕組みや制度、関係法令の見直しなどが不可欠であったのだが、このような根本的な問題は、今日においても手付かずで残されている。
この結果、待った無しで進む産業界の大きな変貌が、これに追随できない国の仕組みや制度、運営方法を実体に合わない時代遅れのものとし、研究開発の現場において、大きな混乱と摩擦を生させているといえる。国やその関連団体の担当も産業界の担当も、わが国の産業振興を切に願って行動しているのだが、そこでのルールが時代に合わなくなっていることから、双方の願望にも拘らず、担当レベルの力ではその不幸な状態から抜け出せないという悲劇が起こっている。
このような問題の一例としては、今回のヒヤリング調査でより具体的に記述されている国の負担する予算費目の制約の問題がある。国の実施するプロジェクトの研究開発を直接受注するメーカは、その人件費については、受注した作業を担当する研究者もしくは技術者の給料分しか国へ請求できないというようなルールがある。
当然、その研究者等の働く環境整備やその管理者などの人件費などの間接費は、請求できないこととなっている。一方、直接受注したメーカから下請にだされた作業については、このような間接費も含めて請求できることとなっている。
このようなルールは、キャッチアップ時代のなごりと考えられる。当時、大手メーカは、先進国のメーカの製品を追いかけ自社製品を開発することが常であり、今日では自己資金で開発するのが当然のような技術開発も、国のプロジェクトとなり得た。
このような状況では、国はメーカの製品開発を補助するような立場であり、技術開発の中核部分のみを、支援対象としたものと思われる。
また、同時に、補助金政策が適当なプロジェクトも、委託研究として扱われ形の上では100%の開発費用を国が負担するということにして、国の支援額を増やしたものと思われる。
やがて、わが国メーカの技術力も向上し、国のプロジェクトも、中長期的な目標を目指すものやリスクの大きなものへと移行していった。また、これから先を見通すと、国のプロジェクトは、社会システムや共通インフラの開発など、開発成果がそのままメーカの製品となるプロジェクトは減少すると思われる。そのような状況では、メーカは新技術の研究開発を、自己負担(持ち出し)の無い一種の調達のようなビジネスとして受注するのでなければ経営上成り立たない。特に、資本力の弱いソフトウェアハウスなどでは、このような持ち出しがあっては、国のプロジェクトへは参加できないこととなる。
一方、自己負担がなければ、調達と同様、開発の成果は、国に帰属するものとしても自然に受け入れることが可能であろう。
他方、メーカの製品と直結する技術開発を国が支援する場合は、そのプロジェクトの主体はメーカにおき、補助金として支援する方が自然であろう。その場合は、その成果は当然メーカに帰属するが、税金を使う以上は米国のように、その成果を商品とし、市場に出すことを義務づけるような制度とすべきであろう。補助金自体もリスクマネーとして出資して、ベンチャー企業などが武運つたなく敗退した場合も、創業者が個人的に借金を背負うようなことのないような制度とすべきと考えられる。
現在の国のプロジェクトにおいては、「中長期の研究開発支援」と、「顕在化した市場に向けての技術開発支援(商品化支援)」は、制度的にきちんと整理されておらず、その予算や運営も、国の時々の判断に左右されることが多い。
「中長期の研究開発支援」を目指して開始されたプロジェクトが、その中間段階で「商品化に向けた技術開発支援」へ方針変更されるようなケースも見られる。
メーカ有識者のヒヤリングにおいて出された問題点は、このような仕組み、制度が現状に適合しなくなっていることから発しているものが多い。
欧米では、「商品化に向けた技術開発支援」においては、補助金による支援が通常であり、直接経費を補助するが、米国の場合は、直接経費と間接経費の定義は、一般に広く用いられている会計原則(Generally Accepted Accounting Principle, GAAP)に準拠するなど、合理的な方法を適用している。(本年度調査報告書:「米国連邦政府が実施する情報産業技術振興政策の事例調査」を参照)
以上、本調査を実施した背景と動機を述べた。産業界からみた現在の国の情報技術開発の仕組み、制度などの問題点が、浮彫りにされている。特に、補正予算による新技術開発はこの制度上の問題点のいくつかを明確化している。このような問題点について、国と産業界の双方の認識の差が狭まり、その改善策が産み出されることを望むものである。
また、その問題点のうちでも、特に重要なものに関しては、同様の問題が米国においては、どのように扱われているのかも別途調査しており、その概要は、本報告書の第2編、及び資料編にまとめて、参考に供している。
(1)複数省庁の連携
(2)過去・現在の研究開発プロジェクトの運営
(3)補正予算事業の運営
第2章では、国が支援する情報技術開発施策について、産業界からみるとどういう問題点があると認識しているかについて述べた。
本章では、この問題点を乗り越え、解決するためにどうすればよいのか、コンピュータメーカの有識者の意見を述べる。産業界の視点からの3つの問題点に対応して、次の3つの観点から述べる。
●研究開発プロジェクトの目指すべき方向
●研究開発プロジェクトの運営のあり方
●研究開発プロジェクトの成果の扱い
(1)基本姿勢
(2)基盤インフラ・サービス・アプリケーション
(3)市場開拓
(1)これからの国の役割は何か
(2)技術開発政策を取りまとめる組織のあり方
(3)国のビジョン、目標としてのアンブレラ
(4)プログラムマネージャの重視と人材育成
(5)プロジェクトの実施体制と評価のあり方
(6)会計制度の見直し
(1)商品化優先の原則
(2)成果の再定義